脊髄損傷(073) [脊髄損傷・癌]
又しても、しばらく間があいてしまい、久し振りのこのカテゴリーの投稿になります。
約9カ月振りになりますが、当初はこれと競馬がメインのブログでした。
駄目ですね、これでは。
私達親子は小樽の右近清さんを信じて、在宅でのリハビリを決心すると、
小樽から6回に分けて、資料が送られて来ました(詳細内容は書きません)。
脊髄損傷からリハビリを行い、機能回復を目指すために、まず重要なことは体幹機能を
取り戻すことで、体幹機能とは身体の中の幹という芯、脊髄損傷ではこれが失墜します。
だから座位(座ったままの姿勢)も保てなくなってしまうのです。
この体幹機能を取り戻さない限り、どんなリハビリも無駄になると言います。
後に小樽に行って訓練の指導を受けることになるのですが、
私はそれが正しい方法なのかもわからない状況でしたが、取敢えず母をベッドに
座らせて、脇の下に両手を入れて、掛け声により立たせてみました。
寝たきりの状態が長い人は、急に立つと起立性低血圧により意識が無くなることが
あるそうなのですが、母にはその症状が全くありませんでした。
この時、母の膝はロック(脚が伸びて膝の関節が入った状態)とは言えず、
軽く膝を曲げたような状態でしたが、更に私は母の身体を左右に傾けて、
右足側に体重を掛けたり、左足に体重を掛けたりしましたが、それでも立っています。
この時に私は、「これは望みがありそうだ」と期待をしました。
その頃、ちょうど小樽の右近清さんから送られて来る資料は4番目のもので、
この4番目の資料は右近清さんからの100項目にも及ぶ設問に回答を書き添えて
送り返すというもので、送り返してしばらく過ぎた2005年の3月21日に
待ちに待ったメールが送られて来ました。
7月6日~13日までの8日間に小樽で訓練を行っていただけるという連絡です。
しかも次から次に来る訓練希望者のため、私達家族の予定を入れるために
前後に予定していた群馬県と岩手県の方が予定をずらして日程を譲ってくれたのです。
このメールには5番目の資料も送られて来ましたが、それは小樽に行くための詳細が
書かれたもので、いよいよ私達親子も念願叶って小樽での訓練を受けることになったのです。
続く
約9カ月振りになりますが、当初はこれと競馬がメインのブログでした。
駄目ですね、これでは。
私達親子は小樽の右近清さんを信じて、在宅でのリハビリを決心すると、
小樽から6回に分けて、資料が送られて来ました(詳細内容は書きません)。
脊髄損傷からリハビリを行い、機能回復を目指すために、まず重要なことは体幹機能を
取り戻すことで、体幹機能とは身体の中の幹という芯、脊髄損傷ではこれが失墜します。
だから座位(座ったままの姿勢)も保てなくなってしまうのです。
この体幹機能を取り戻さない限り、どんなリハビリも無駄になると言います。
後に小樽に行って訓練の指導を受けることになるのですが、
私はそれが正しい方法なのかもわからない状況でしたが、取敢えず母をベッドに
座らせて、脇の下に両手を入れて、掛け声により立たせてみました。
寝たきりの状態が長い人は、急に立つと起立性低血圧により意識が無くなることが
あるそうなのですが、母にはその症状が全くありませんでした。
この時、母の膝はロック(脚が伸びて膝の関節が入った状態)とは言えず、
軽く膝を曲げたような状態でしたが、更に私は母の身体を左右に傾けて、
右足側に体重を掛けたり、左足に体重を掛けたりしましたが、それでも立っています。
この時に私は、「これは望みがありそうだ」と期待をしました。
その頃、ちょうど小樽の右近清さんから送られて来る資料は4番目のもので、
この4番目の資料は右近清さんからの100項目にも及ぶ設問に回答を書き添えて
送り返すというもので、送り返してしばらく過ぎた2005年の3月21日に
待ちに待ったメールが送られて来ました。
7月6日~13日までの8日間に小樽で訓練を行っていただけるという連絡です。
しかも次から次に来る訓練希望者のため、私達家族の予定を入れるために
前後に予定していた群馬県と岩手県の方が予定をずらして日程を譲ってくれたのです。
このメールには5番目の資料も送られて来ましたが、それは小樽に行くための詳細が
書かれたもので、いよいよ私達親子も念願叶って小樽での訓練を受けることになったのです。
続く
コメント 0