SSブログ
脊髄損傷・癌 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

脊髄損傷(069) [脊髄損傷・癌]

2005年3月に在宅に移行後、便秘睡眠の問題が発生していたところまで書きましたが、
他にも排尿昼間の過ごし方等、問題はいろいろ発生していました。
久々ですが、今回は問題というわけではないですが、私が一番気を使った排尿について。

リハセン入院中に身体に穴を開け膀胱から直接管を出して尿を採る膀胱ロウを
勧められたのを断り、入院中などに良くありますが尿道に管を入れっぱなしの
バルーンカテーテルにするかどうかの選択を迫られ、私は母本人は不本意だと感じながらも
1日数回のカテーテルによる導尿とそれ以外はオムツと言う結論に達しました。

排尿、「何だ!ただのオシッコじゃないか」と思う人もいるかもしれませんが、
実はこれこそが私が在宅に切替えてから最も気にした中のひとつなのです。
病院に入院している状態でも、管理の悪い病院では患者に尿路感染させてしまうことが
あると聞くのに、私のような素人がオムツで過ごす母の衛生面での管理が出来るのか?
それが心配だったので、非常に気を使ったのです。

尿路感染、例えばオムツにオシッコをした、すぐに交換して綺麗に拭いたり、洗えれば
良いですが、それを怠れば細菌が尿路から体内に入り、感染、合併症、最悪は死です。
清潔にさえしていれば良いというものでも無くて、水分摂取量も重要です。

母と同じように寝たきりで、自分でトイレに行けない人でオムツ着用の人は、
どうしてもオムツが濡れると気持ちが悪い、それを避けるために出る回数を減らそうとする。
そうなると水分を摂らなくなる、最低限喉を潤す程度しか飲まなくなるのです。
ところがこれが全くの逆効果、尿路に細菌があったとしても、オシッコがそれを流す役目も
しているので、水分の摂取量を増やしてオシッコの回数を増やすと、
細菌が排出され易くなるために尿路感染する可能性も低くなるのです。

現に母も何度か膀胱炎になりかけたことがあったり、病院に入院中に膀胱炎にされたり、
一番驚いたのは導尿でオシッコを採ったら、紅茶のように茶色だったことがあって、
慌てて病院に行き抗生剤を点滴されて治まった何てことも何度かありました。

それで今の水分摂取量は最低でも1日2リットルと言い聞かせています。
お茶、ポカリスエット、煮沸した水、果物でも良いから水分はどんどん採らせています。
お陰で最近は熱を出すことも、オシッコの色が悪い、膀胱炎など全く無くなりました。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(068) [脊髄損傷・癌]

かなり間が空いて話が良く分からなくなっていますが、2005年3月に在宅に移行して、
便秘に続いてと言うか、睡眠の問題も発生していました。
睡眠の問題と言うのは、認知症の人などに多いらしいですが夜と昼の逆転現象です。
まあ母の場合認知症はありませんが、昼間ウトウトと寝ていて、夜になると寝られない、
実はこれには痙性というものが大きく影響していました。

痙性は前にも説明したと思いますが体の硬直や突っ張りのことです。
多くの病院の場合、この症状が出ると筋弛緩剤と言う薬を使いますが、
この薬が原因で昼と夜の逆転が起こってしまう人が多いのです。

母の場合、2005年3月に退院する2か月前の1月に筋弛緩剤投与を止めさせました。
同年6月に小樽の右近清さんのところでリハビリを受けた際、母の痙性の部位と
その対処方法を教わるまでは、リハビリもあまり出来ていませんでしたので、
昼夜逆転と痙性で夜はほとんど寝られないという日々が続きました。

痙性が起きて寝られないと母が訴えた時は、ベットサイドに布団を山のように積んで
反対側のベットサイドから床に足を下ろさせて、ちょうどベットの縁に座らせて、
山のように積んだ布団を背もたれ代わりにして、しばらく眠らせるようにしました。
何故そういう方法を取ったのかというと、リハセンで同じように痙性が起きた時に
ある看護師がそうすると落ち着くということに気が付いたからなのです。
そして後で小樽に行った時にわかったことですが、母の痙性は腹部で起こっていたのです。

その頃、今となっては笑い話ですが、反省しなければいけないことですが、
夜中に母がそんな状況で何度も起こされていたので、自分自体も寝不足になり
文句を言ったり、叱ったりしてしまっていましたね。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(067) [脊髄損傷・癌]

母が退院後現在で4年半が過ぎて、今では自分もある程度のことには対応出来るように
なりましたが、2005年の在宅に移った当時は、いろいろなことに悩まされたものです。
リハセンに入院中に右近式リハビリを行うと決めましたが、退院直後はまだ本格的な
リハビリも始まっていませんでしたので、体調の管理は特に大変でした。

最初は便秘、退院直後の1週間で夜間救急に3回ほど母を連れて行きました。
連れて行ったのは脊髄損傷での入院した病院とはまったく別の病院で、
過去に母が胆石や腸閉塞、緑内障・白内障などで入院したT病院です。

腹痛を訴える母を夜間救急に連れて行くと、大抵レントゲンを撮り、
「異常無し、便秘ですね」と言われて、浣腸され、下剤をもらって帰るという繰り返しでした。
確か1度ぐらいは点滴をされたこともあったような記憶があります。

ちょうどその夜間救急に連れて行き、腸のレントゲンを撮ってもらった時に、
リハセンに入院中に私が発見した、母の腹部、ちょうどおへその下辺りに
ペコペコと動く小さな突起のようなものを見つけ、穴が開いているように感じたということを
その救急で対応してくれた医師に聞いてみたことがあります。

その時に医師から帰ってきた言葉は信じられないものでした。
「確かに小さな穴が開いていて、腸が出てくる(いわゆる脱腸)かもしれないけど、
そんな身体で手術するのも大変だから嫌でしょう、無理しなければ大丈夫」でした。
これって障害者を差別したような言い回しに感じました。
それ以降、このT病院に行くことはありません、現在でも行こうとは思いませんね。

ちなみに、このT病院ですが、風の噂で聞いた話しですが、
昔は眼科などは県内でもトップクラスの評判だったのですが、やはり派閥の問題で
医師が大幅に入れ替わって、今では評判はガタ落ちだそうですが、
救急の担当の医師の態度を見ても、何だか納得できる話だと思いましたね。

話は戻って便秘ですが、障害などがあったり、高齢で寝たきりなどになると
どうしても便秘になる、結局は運動不足がまずは大きな問題です。
それと後に聞いた話ですが、人間は二足歩行の動物で基本立って生活するような
構造の身体に出来ていて、それが寝てばかりでは腸の位置も正常ではなくなるので、
どうしても排便に苦労するのだとのことでした。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(066) [脊髄損傷・癌]

いよいよ2005年3月13日、忘れもしない退院の日を迎えたのです。
2004年9月18日転倒により脊髄損傷を受傷、隣の市にある救急病院に搬送され、
たいした処置もされずに「完全四肢麻痺」、「一生寝たきり」を宣告され、
更にはたった10日程度の入院で床擦れを造られてしまったこと。

同年9月30日、私が探し当てた大学病院の脳外科の先生の好意で転院、
10月4日に手術を行い、入院期間中に前病院で造られた床擦れを治してもらい
そして11月9日、リハビリセンターに転院、筋弛緩剤の問題、尿の管理の問題、
膀胱ロウ留置の提案や入院期間延長を断るなど、いろいろな経験をしました。

受傷後半年の入院生活を終えた母は定期的に自宅療養の訓練で帰宅をしていましたが、
さすがに2005年3月13日は、その日ばかりは病院に戻らなくても良い帰宅です。
それは本人も、私たち家族にとっても忘れられない日となりました。

嫌な思い出の多いリハセンでしたが、最後にちょっとだけ笑える話です。
以前書きましたが、食事時間に母と同じテーブルで食事を食べていた男性のTさん。
受傷レベルは大体母と同じ程度で、リハビリではライバルとなっていた方です。

ある日の食事時間に食堂にリハセンの栄養士の人が現れました。
アメリカ人女性のような太った大きな人でしたが、その栄養士さんを見たTさんが、
栄養士さんが食堂から去った後、看護師に聞きました。

「この病院で出る食事は栄養士さんがカロリー計算をして物が出ているのですよね?」
すると看護師は「もちろんそうですよ、心配しなくても大丈夫ですよ。」
それに対してTさん「いやいや、だってあの栄養士さん、あんなに太っちゃって
とてもカロリー計算をして管理出来ている人には見えない」と言って、笑わせてくれました。[わーい(嬉しい顔)]

今でも時々、母とTさんが今はどうしているのか?と話すことがあります。
筋弛緩剤を止めた母がどんどん元気になり、対向してTさんも止めようとしたのですが、
身体のツッパリに耐え切れず、結局止められなかったのです。
その後、風の噂で他の病院に転院して行ったと聞きました。

さあ、2005年3月13日、その日から在宅でのリハビリを開始することになります。
家に戻った後もいろいろ問題や体調のことで大変な日々が続きます。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(065) [脊髄損傷・癌]

退院を間近に控えて、家に戻ったら他力導尿とオムツで過ごすことを決め、
リハセンでの残り数日の入院生活中も同様の管理をしてくれることとなりました。

更に私に導尿の仕方を指導してくれるとのことで、仕事帰りにリハセンに行き
食事の介助をして、洗面の介助をした後、着替えをさせてベッドに横にさせてから、
看護師を呼んで、導尿の指導をしてもらうことになっていました。

最初に指導してくれたのは、母の担当看護師である男性のM看護師です。
今までこの看護師に対して私は、いろいろ意見や文句を言っていましたので、
この導尿の指導の時には、自分が優位な立場とでも思ったのでしょうか?
ハナで笑ってしまいたくなるような指導でした。

流れとしては、まずゴム手袋を両手にはめて、アルコールで手を洗います。
それから清浄綿を袋から取り出して、最初に半分使って、周辺を洗浄する。
カテーテルにヨードグリセリン(潤滑剤のような使用)を付けて、尿道に入れます。
尿器に尿を取り出しますが、膀胱の中を空っぽにするために、多少下腹部に圧を掛けます。
尿を採り終わったら尿器内の尿を見て、汚れ具合や量を確認する。
最後に半分残った清浄綿で再び洗浄して終わると言うものです。

ザッと流れを聞いて、私が実際にやるわけですが、清浄綿の袋を破ったりする時に
誤って私がベッドの柵等に手を付いたりしてしまう時があって、
それを見たM看護師は、鬼の首でも取ったかのように、
「あ~っ、アルコール洗浄した手で他の物触っちゃ駄目、やり直し」何て言うのです。
指導を受けている時は、本当に粗探しをされているようで、ハナで笑いたくなったのです。

私に言わせてもらうと、ベッドの柵を触ったとか、どこになんの菌があるか
わからないのだからとやり直しをさせる、そこまで徹底しているなら、
何故、ここに入院している間に母は膀胱炎になったり、肺炎になったりしたのか?
本当はお前らだって、そこまで慎重にはやっていないだろうと感じたものです。

こんなこともありました。
M看護師が夜勤などでいないときは、別の男性看護師が私に指導してくれていました。
その看護師は、若くて、マッシュルームカット(坊ちゃん刈り)だったので、私と母の間では
お坊ちゃま、なんて呼んでいました。

その彼が私に教えてくれるわけですが、「じゃあ、見てて下さい」なんて言って導尿を
始めたと思ったら、「あれ?、、、あれ?、、、」なんて言い出して、尿が出てきません。
どうやらカテーテルの挿入場所がわからなかったようです。
本当にこの病院は大丈夫なのか?と思ったものです。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(064) [脊髄損傷・癌]

2005年3月13日に退院の日が決まり、前のC大学病院に入院中から
医師たちから言われていた退院後に在宅での生活に移行した時に、排便と
排尿の管理をどうするのか?と言う話が再び出始め、決断する時が来ました。

C大学病院で言われたのは「あなたたち家族が常にそばにいられないでしょう?」と、
だから在宅で過ごすと言うことが簡単なことではないと言うことでした。
これも今思えば、遠回しに膀胱ロウを勧めていたのではないかと思います。
膀胱ロウとは、前にも説明しましたが、身体に穴を開けて直接膀胱から外へ尿を
出すという仕組みの物で、常に身体から管が出ているようなものです。

リハセンでは、はっきりと膀胱ロウを勧められて、私が拒否しました(正解でした)。
それじゃあ、家で普段はどのようにすれば良いか?
まずは排便ですが、母は便意も感じる状態で、リハセンでもちゃんとトイレに行き、
正確には車椅子で連れて行かれて、便座に座って用足しをしていましたので、
家でも、母の意志でトイレに座らせています。

排便の方は便意を感じてからトイレに行っても間に合いますが、
排尿の方はそう簡単ではなくて、尿意があってからでは間に合いません。
そこで勧められたのが膀胱ロウだったわけですが、それを拒否、
次に勧められたのがバルーンカテーテル、これは手術後などに入れられた経験の
ある人も多いと思いますが、身体に穴は開けないが、尿道から管を入れて、
膀胱内に到達すると、管の先端が風船のように膨らんで、抜けなくなる物で、
風船のように先端が膨らむから、バルーンカテーテルと言うのです。

私はそれも拒否、何故ならこれは衛生的に問題があるからです。
管を尿道に入れっぱなしですから、尿道内部を傷つけてしまうこともあるし、
経験した人は知っていると思いますが、これを通して取ったオシッコは汚れています。
いや、正確に言うと、徐々に汚れてきます。
原因は不衛生な状態だからで、当然これも拒否です。

結局は、母自信も不本意だと言っていましたが、オムツを選択しました。
それと私が家にいるときは他力導尿という、バルーンカテーテルと同じような物ですが、
違うのは、管を入れっぱなしにしないで、膀胱内の尿を全部出したら、
管は抜いて、使い捨てという方法で、それは現在でも続いています。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

鎖骨骨折 [脊髄損傷・癌]

実は本日午後、母は整形外科手術を受けました。

去る12日のこと、成人の日で祝日ですが、この不景気に珍しく私は休日出勤。
仕事をしていると午後14時頃携帯に父から電話が掛かってきました。
話を聞くと、母をベッドから落としてしまい、本人は相当痛がっているとのことでした。
私の職場は家から車で30分は掛かる場所にあり、救急車を呼ぶように指示しました。

後で詳しく話を聞いたところ、昼食を食べてベッドに横になる時、父の悪い癖でベッドの
サイドに付いている柵を完全に外してトランスをしたそうです(私は柵はずらすだけ)。
その柵を外した状態で母を寝かせたところ、母が何度か咳をしたらしく、
ティッシュを取りにベッドを離れたところ、母は咳の勢いで体が動き、ベッド右側から
回転して、左肩を下にして落ちて、左肩を強打したとのことでした。

祝日ということもあって、受入れてくれる病院が無く、家からかなり遠い病院に搬送され、
私が掛け付けると、既にケアマネジャーやヘルパー派遣会社の代表も来ていました。
医師から説明があり、「レントゲンを見る限り、脱臼か、靱帯損傷です」とのことでした。
脱臼や靱帯損傷では今後のリハビリが大変になるから、骨折の方が良かったと感じました。

医師は「今夜はこのまま入院しても構わないし、帰って翌日に近所の病院に掛かるなら
レントゲンと紹介状を書きますが、どうしますか」と聞いてきました。
本人と相談して、その日は家に帰ることを告げて、レントゲンと紹介状を受け取りました。

翌日、家の近くにある整形外科病院に行きましたが、ここは数年前に母が
後縦靱帯骨化症の手術を受けた病院なのですが、詳しく検査を行ったところ、
脱臼や靱帯損傷ではなく、鎖骨骨折と判明しました。

診察した医師は、母が脊髄損傷で体が全く動かないと思ったらしくて、
「何もしないでジッとしていれば2ヶ月もあれば骨は付きますから、それがいいでしょう」
私が「毎日リハビリをしていて、手でコップを持って水分を取ることが出来ます」というと、
「えっ、手動くの?だったら2ヶ月もジッとしていたら動かなくなっちゃうから手術しましょう、
手術すれば10日程で、動かせるようになるからということで手術をすることにしました。

手術は、折れて跳ね上がったしまった骨と元々繋がっていた骨をボルトとプレートで
固定すると言うもので、そのプレートはいずれ外す人もいれば、高齢の人はそのままの
場合もあるそうですが、外すか外さないかはいずれ考えることで、とにかく手術をしました。
あまり弱音を吐かない母が、相当痛がっていたので、かなり痛いのだと思います。
それでも何とか手術は成功しましたので、私は既に今後のリハビリの仕方を検討中です。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

脊髄損傷(063) [脊髄損傷・癌]

2005年2月中旬、退院日が3月13日に決まり、残り1ヶ月頃の話になります。
さかのぼる事、2004年11月にこのリハセンに来た時に、このリハセンの決まりで
患者は夜眠る時は寝巻き(パジャマ)、朝起きたらジャージなどの軽装に
着がえるように言われ、朝は当然家族がいない患者も多いので、看護師達が
着替えさせてくれていますが、寝る前の着替えは私が毎日仕事帰りにリハセンに
行って、食事の後、歯磨きなどの洗面後に行っていました。

そうして退院間近のある日、着替えをさせていると、母の腹部、ちょうどおへその下辺りに
ペコペコと動く小さな突起のようなものを見つけました。
これは何だろうか?と触ってみると、その部分だけは腹筋が無いように感じました。
別な言い方をすると直径1cm程度の穴のようになっていることに気付きました。

その時は、気にはなったがまだ小さかったと言うこともあって、そのままにしました。
いずれ詳しいことを書きますが、この穴を10ヵ月後ぐらいに手術をすることになるのです。

とにかく母は脊髄損傷になる前から、次から次へと手術や入院を繰り返していました。
私が覚えているだけでも、胆石摘出手術腸のポリープ摘出手術後縦靱帯骨化症手術
腸閉塞(点滴治療)緑内障・白内障手術、そして脊髄損傷の手術、リハセン退院後も
肺炎での入院や通院で済んだものの帯状疱疹膀胱炎等々、そしてその腹部の穴ですが、
これは腸のポリープ摘出手術が原因のものでした。

脊髄損傷を受傷後以降は入院先は私が決断して決めていますが、それ以前は母が自分で
決めた場所へ入院して手術や治療を受けていたわけで、
はっきり言って、 「何でこんな病院にしたんだ?」と思うことも多かったです。

ポリープの摘出手術の時もそうで、確か近所の人が掛かっている病院と言うことで
勧められて入院したわけですが、この病院は夫婦で医者をしているところで、
当然数は少ないが入院のための病棟もあって、母もそこに入院したのです。

ところがこの病院の手術室がどうにも不潔極まりない、「これが手術室か?」
思える程、更に東京から偉い先生が来て手術すると聞いていましたが、とても偉い先生には
見えない、手術後家族に相談も無く勝手に母に輸血何かしていて参りました。
もっと凄い話があって、これは母が退院した後ですが、この病院の医師夫婦は入院患者が
いるにも関わらず、夫婦で海外旅行に行ったりしているそうです(酷いですよね)。

それで母の腹部の穴ですが、10ヵ月後ぐらいには直径が2cm程度まで大きくなって
別な病院で手術をしたのですが、結局、ポリープ摘出手術の時の腸の縫合の不手際で
縫った所が開いてきてしまったのが原因でした。

この腹部の穴は、母がリハセン退院後、私たち親子が頼った小樽の右近清さんの指導で
行う在宅リハビリには邪魔になるものだったので、いずれ手術をすることになるのです。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

介護ヘルパーについて(3) [脊髄損傷・癌]

ちょっと間が空いてしまいましたが、介護ヘルパーの仕事の大変さまで書きました。
そういうこともあって介護ヘルパーの所属している事業所では、仕事の割りに給料の
安い問題が原因で、ヘルパーさんはより収入を多く得られる事業所へと移るため、
とにかく人の入れ替わりが激しくて、事業所も人手を確保するために、
ヘルパーの資格がある人ならば誰でも雇ってしまうという問題もあるわけです。

我家の母の場合は2つの事業所が、午前と午後に分かれて入っています。
午前に入っている事業所は、地元の総合病院の系列で、結構面接も厳しいそうで、
人数も大勢はかかえないため、人の入れ替わりもなく、既にサービスを受けるように
なってから4年近く経ちますが、サービス開始直後からヘルパーさんが変わっていません。

問題は午後に入っていた事業所の方で、とにかく人の入れ替わりが激しくて困りました。
ヘルパーとして訪問している我家で、「私の方が介護を受けたいよ」なんて言ってた年寄りの
ヘルパーさんとか、昼はヘルパーで夜は飲屋のママみたいな人もいて、その人なんか同じ
事業所の若いヘルパーさんをホステスとして勧誘していたり、母の希望通りに出来なくて
逆切れしちゃうヘルパーなんてのもいましたが、中には数人まともな人もいるにはいました。
ところが、まともな人に限って、事業所の内部事情で早く辞めてしまうパターンが多い。

そうして先日、11月末の事ですが、午後に入っていた事業所が人手を確保できないとの
理由で訪問が出来ないと、ケアマネを通して連絡があり、12月より事業所が変わりました。

12月に入り、新しい事業所の代表と2人のヘルパーさんが我家を訪れました。
この2人のヘルパーさんが交代で我家に来るとのことでしたが、既に1人の方に関しては
駄目出しをして、別のヘルパーさんに代えてもらいました。

トランス(ベットから車椅子への移動等)が、こちらの指示通り出来なかったからです。
正確に言うと、新たに来たヘルパーさん2人とも出来ていませんでしたが、
1人の方は出来ないなりに、こちらの指示通りにやろうと努力しているのがわかりましたが、
駄目だった方は、出来ないから自分のやり方でやりますと、開き直ったので諦めました。

人間のやることなので仕方がありませんが、ヘルパーさんも十人十色でなかなか思い通りに
動いてくれない人、今は出来ないが努力してくれそうな人、慎重な人、いい加減な人、
ヘルパーさんの大変さは理解した上で、ヘルパーさんと介護保険受給者の間にはお金の
やり取りがあって、ボランティアではありません。

ボランティアで来てもらっているならば、どんな人が来ても文句は言いずらいですが、
介護保険上での関係では、受給者はケアマネでさえ交代できる権利があるのです。
多分、これから先もベストなヘルパーさんが現れるまで、交代劇は続きます。

                                                          
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康

介護ヘルパーについて(2) [脊髄損傷・癌]

ヘルパーさんにもいろいろな人がいます。
我家では母が脊髄損傷を受傷して、退院後既に4年近くヘルパーさんとの付合いです。
センスのある人と無い人、気が効く人と効かない人、人間なので、本当にいろいろです。

4年間の間に、こちらから駄目出しをして訪問を止めてもらった人もいます。
逆に母がプライベートでも付き合いたいと思えると言うほどのヘルパーさんもいます。
ところが、ヘルパーさんとはプライベートでの付き合いは一切認められません。

介護保険というのは、もちろん国で決めた制度ですが、実際に受給者やその家族と
やり取りをするのは、受給者が住んでいる市町村の地方自治体なのです。
残念なことに、その市町村により認識の違いがあるのが事実です。
更にひどいことに、その市町村の経済状況により、甘かったり、厳しかったりです。
だから、私がここに書いていることが、必ずしも全ての市町村で同じとは言えません。

ヘルパーさんの話に戻って、介護保険には身体介護と家事援助があると書きましたが、
例えば受給者が身体介護を希望して、申請すると、家事援助は認められません。
その逆も同じで、家族が出掛けたくて、昼食を食べさせる人が居ない日があっても、
その受給者が身体介護で契約の場合は、ヘルパーさんは食事の世話は出来ないのです。

家事援助で契約の場合、食事を作ったりもしてくれますが、それは受給者の分だけです。
私も最近は料理をしているので良くわかりますが、一人分の食事を作るのは大変です。
そういう場合、気の効いたヘルパーさんは他の家族の分も作ってくれることがあるそうです。
もちろん違反行為ですが、暗黙の了解と言うことです。

もっと驚いたのは、ヘルパーさんは訪問した家のトイレを使いません。
ヘルパーさんも1軒だけでは、移動して何軒かの受給者の家に訪問しているのですが、
我家に来ているヘルパーさんの話では、途中の公園やコンビニのトイレで済ませるそうです。

他にもあって、先日岐阜県にいる親戚から柿が送られてきました。
大きくてとても良い柿なのですが、さすがに量が多くて食べ切れそうにもありません。
そこでヘルパーさんに持たせようとしましたが、違反行為だと受け取りません。

私の個人的な考えですが、友人のように親しくなった受給者とヘルパーさん、
もちろんサービスを受けている時間は、ヘルパーさんも仕事中なのでまずいでしょうが、
何もそれ以外の時間、プライベートでの付合いがあっても良いのではないかと思います。
受給者とヘルパーという関係の前に、人間と人間の関係なのだから。

                                                         続く
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:健康
前の10件 | 次の10件 脊髄損傷・癌 ブログトップ