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自分にとっての両親(2) [脊髄損傷・癌]

父の「俺の法則に従うように」なんて理由で名前を付けられた自分ですが、
子供の頃から何でも食べる弟に対して好き嫌いが多かった自分、よく怒られたのを覚えています。
父には結構げんこつや張手をくらって、小さい頃は怖い父と言う印象でしたね。

この当時は母も結構厳しくて、誰にでも1度くらいは覚えがあると思いますが、
さすがに人様のお金を盗んだことは無いですが、母の財布からくすねたことはあります。
何度か繰り返しているうちに見付かって、朝だったのですが、母の怒りは激怒と言う感じで
その日は学校を休まされて、お灸を据えるという言葉を聞いたことがあるでしょうか?
線香に火を付けて先端が赤くなりますよね、それを手に当てられましたからね。

この時の話は母と自分の間では笑い話になっていて、「今だったら虐待だよ」とか
「熱い線香を押し付けた息子に今介護されているんだぜ」等と自分は言いました。

それから自分が中学に入学してすぐに我家は新築して引っ越すわけなのですが、
この新築の時にも父と母の間では意見の相違があったと母から何度も聞いていました。
母はどうしても自分の家が欲しかったそうですが、対して父の方は金が掛かるから家はいらない、
家なら群馬に自分の実家があるからそこに住めば良いからと言ったそうです。
ところがその群馬県の父の実家はその後、父の両親(自分の祖父と祖母)が借金のかたに
取られて、当時自分が聞いた話では200万円で買い戻せたそうですが、父にはその力も無く、
結局、父があてにしていた群馬の実家も人手に渡ってしまいました。

そして母の強い希望でまずは土地を購入することになったそうなのですが、
母が自分の親が残してくれた遺産としてもらったお金をつぎ込んで土地を買ったそうです。
更にローンを組んだりするのに銀行や住宅金融公庫を走り回ったのは母で、父は知らん顔。
家が建ったら途端に「俺の家、俺の家」だそうです(情けない)。

そしてそれから約30年後に今度は自分が家を建てようと決心をするわけですが、
「男として生まれたからには1度は大きな買い物をしたい、自分の家が欲しい」
自分はそう思っていると母に伝えて、「大変だよ」と言う母を説得して家を建てたのです。

どう思うでしょうか?男に生まれたからにはお金がもったいないとか、今住んでる家が
あるからではなく、力試しではないですが、ここまで出来るだけの力を持てたよという
証のようなものじゃないでしょうか?
大きな買い物と言うのは、その辺の考えの違いが父と自分の溝が深まった理由でもあります。

続く

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