脊髄損傷(072) [脊髄損傷・癌]
またしても間が空いて話が理解しづらいとは思いますが、とにかく2005年3月に母が
リハビリセンターを退院してから本人にも私達家族にもいろいろ初めてのことが起こって
大変でしたが、いよいよ在宅でのリハビリの話に入りたいと思います。
何度か過去にも書いたことですが、私と母はリハセン入院中に小樽の右近清さんの
リハビリを受けることを決めましたが、その出会いは私がインターネットで検索した結果
見付けたのが「脊髄損傷 立った!そして今、ついに歩いた」というHPでした。
そしてそこから右近清さんにメールを送ったところ、すぐに返事が来ました。
その後、小樽から6回に分けて資料が送られて来ました。
内容に関しては誤解を招いたりする可能性もありますので、許可無く掲載するのも
いけないことだと思いますので詳しいことは書きませんが、
とにかく私自身が病院で医師から言われることや病院の対応に関して疑問に感じて
いたことが、的確に、「その通りだ」と思うほど一致していたのです。
最初に右近清さんに送ったメールに母が投与されている筋弛緩剤について疑問に
感じている旨を書いたように覚えていて、右近清さんからは「あなたが知りたい筋弛緩剤に
ついては3回目に送る資料に書いてあります」との返事が来たのを思い出します。
それでも資料はきっちり1回目の資料から順番通りに送られて来て、読み終わったことを
メールで連絡すると、次の資料が送られて来るという仕組みになっています。
1回目と2回目の資料は日本国内の脊髄損傷の現状などが書かれています。
医師にはこんなことを言われるとか、こんな薬を使うとか、こんな物を勧められるなどです。
本当に読んで驚きました、書いてある通りのことを母もされていたからです。
3回目の資料は右近清さんが実際に小樽に呼んだ人たちの話が書かれています。
4回目は100項目の質問が書かれていて、回答を送るという具合でした。
そして5回目、6回目の資料は小樽で行うリハビリや小樽に来るまでに行うリハビリ、
小樽での宿泊場所やリハビリに人手が必要か?など、小樽でのことが書かれていました。
もちろん、今だから言えることですが最初から完全に信用していたわけではありません。
それが、私が1番興味のあった3回目の資料を読んでから、
徐々に信じることが出来て、それがいつしか間違い無いという確信に変わって行きました。
続く
リハビリセンターを退院してから本人にも私達家族にもいろいろ初めてのことが起こって
大変でしたが、いよいよ在宅でのリハビリの話に入りたいと思います。
何度か過去にも書いたことですが、私と母はリハセン入院中に小樽の右近清さんの
リハビリを受けることを決めましたが、その出会いは私がインターネットで検索した結果
見付けたのが「脊髄損傷 立った!そして今、ついに歩いた」というHPでした。
そしてそこから右近清さんにメールを送ったところ、すぐに返事が来ました。
その後、小樽から6回に分けて資料が送られて来ました。
内容に関しては誤解を招いたりする可能性もありますので、許可無く掲載するのも
いけないことだと思いますので詳しいことは書きませんが、
とにかく私自身が病院で医師から言われることや病院の対応に関して疑問に感じて
いたことが、的確に、「その通りだ」と思うほど一致していたのです。
最初に右近清さんに送ったメールに母が投与されている筋弛緩剤について疑問に
感じている旨を書いたように覚えていて、右近清さんからは「あなたが知りたい筋弛緩剤に
ついては3回目に送る資料に書いてあります」との返事が来たのを思い出します。
それでも資料はきっちり1回目の資料から順番通りに送られて来て、読み終わったことを
メールで連絡すると、次の資料が送られて来るという仕組みになっています。
1回目と2回目の資料は日本国内の脊髄損傷の現状などが書かれています。
医師にはこんなことを言われるとか、こんな薬を使うとか、こんな物を勧められるなどです。
本当に読んで驚きました、書いてある通りのことを母もされていたからです。
3回目の資料は右近清さんが実際に小樽に呼んだ人たちの話が書かれています。
4回目は100項目の質問が書かれていて、回答を送るという具合でした。
そして5回目、6回目の資料は小樽で行うリハビリや小樽に来るまでに行うリハビリ、
小樽での宿泊場所やリハビリに人手が必要か?など、小樽でのことが書かれていました。
もちろん、今だから言えることですが最初から完全に信用していたわけではありません。
それが、私が1番興味のあった3回目の資料を読んでから、
徐々に信じることが出来て、それがいつしか間違い無いという確信に変わって行きました。
続く
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