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母の最期(1) [脊髄損傷・癌]

生まれてから40年以上、死の瞬間に立ち会ったのは初めてのことでした。
母が昔どこかの占い師に見てもらった時に自分が両親とは縁が薄い子供で
両親の死に目には会えないと聞いていたのに、立ち会うことができました。

話は7月6日(土曜日)の夕方、母の妹で岐阜に住んでいる叔母から電話がありました。
内容は今週中に会いに行きたいけどいいか?ということで、もちろん歓迎すると答えました。

その後、21時頃に我家はいつものことですが遅い夕食を食べていました。
母は車椅子に座って、2階から降りて来て、いつものように一緒に食事を食べていました。
量は食べられませんが、母はこの日まで自分たちと同じような食事を食べていました。
同じ様なと書いたのは豆腐や味噌汁等の堅くないものが中心だったからです。

しかし6日の夜は途中で普通の食事はいらないと言うので、
それではと「飲むゼリーとかプリンにするかい?」と聞くと、
うなずいたので飲むゼリーを一口だけ口に入れたところ普通に飲み込みました。
そして2口目をと思ったところ、眼つきが変なので「どうした?」と聞くと返事をしない。
頬を軽く叩いて呼んでみても全く返事は無い、目は普通に開いているのに、
これは普通ではないと思った私は2階に連れて行き、すぐにベッドに寝かせました。
そうするとしばらくして意識が戻りました。

母が最後は家でと言う希望で、それを叶えてあげるためにこう言う緊急時には
まず訪問看護師さんに連絡することになっていて、訪問看護師から往診してくれていた医師に
連絡をすると言う手順になっていましたので、訪問看護師さんに連絡をして来てもらいました。

訪問看護師さんが来て、母に「こんばんは、大変でしたね」と声を掛けると、母も普通に
「こんばんは、御世話になります」と答えていたので、自分にはことの重大さがわかりませんでした。
その後訪問看護師さんは熱を測ったり、血圧を調べたり、酸素濃度を調べました。
そして私に「ちょっと下でお話しましょう」と言われ、食事をしていた場所に行きました。

訪問看護師さんの話は「意識が無くなったのは貧血が原因です、もう身体は起こさない方が良い。
熱があるのでアイスノン等で冷やしましょう、血圧は元々低いので特に問題はないです。
酸素濃度がつい最近まで95%あったのに、今は85%ぐらいに下がっています。
既に喉を使った呼吸をしていますので、しばらくすると顎で呼吸するようになると思います。
こう言う状況になると、だいたいの場合24時間~2日が限界です。
徐々に酸素の取込が出来なくなり指先から変色(黒ずむ)してくると思います。
もう呑み込むことも出来ないと思うので、水も薬も飲ませないで、
喉が渇くと言ったら氷を水で小さくして口に入れてあげて下さい。
会わせたい人がいたら早目に連絡を取った方が良いですよ」と重い言葉が続きました。

私が「それは危篤状態と言うことですか?」と聞くと訪問看護師さんは「そうです」と答えました。
訪問看護師さんが帰る前に母が痛みを訴えて、どうすれば良いか?たずねると
それではと薬(錠剤)を少量のお湯で溶いて、飲むゼリーと一緒に飲ませる方法を取りました。
そして今後も痛みが出たら同じ様に薬を飲ませるようにと言われました。

最後に訪問看護師さんは母に「本当にここで最後までいいの?」と聞いていました。
どうも往診してくれる医師も訪問看護師さんも私のエゴで母を入院させないと思っているようです。
しかし母が「はい!」としっかり答えてくれました。

訪問看護師さんが帰った時には既に23時を過ぎていました。
取り敢えず弟にだけ連絡をすると、明日には来るとのことでした。
そして訪問看護師さんから今晩はずっと付いているように言われていましたので、
自分は風呂に入る時意外はそばで一晩徹夜をしました。

続く

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