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母の最期(2) [脊髄損傷・癌]

訪問看護師さんに言われたとおり6日の晩は寝ないで母の様子を見ていました。
それで自分はこの日いつもの週末と同じ様に競馬の予想をして、馬券を購入して、
更には予想をブログにまで投稿して、親が危篤状態なのに不謹慎だと思われることでしょう。
しかし寝ているだけの母を見ているだけで時間を過ごすのには、そんなことでもしていないと
不安になってしまって、しかも母は自分が馬券を当てたりすると喜んでくれるので、、、。

朝の9時頃になった時に自分は昨日電話をくれた岐阜の叔母に電話をしましたが、出ない。
仕方なく母の姉である神奈川に住んでいる叔母に電話をして、母が危篤であることを伝えると
これから岐阜の叔母も含めて親戚達に連絡をしてくれることになりました。

7日の日曜日は母の寝ている部屋で自分と父は1日中付き添いました。
母が癌ではないかという疑いが掛かった時に母から「頼むから正直に何でも話してくれ」
懇願されていましたので、自分は癌であることがわかった時には正直に話をしましたし、
普段から「最後をちゃんと見届けたいから逝くのは俺が休みの日にしてくれ」とか
「お袋だけは幽霊になっても出てきて良いからな」等と冗談のような話を真剣にしていました。

そしてこの危篤に陥った日曜日にもそんなこと言わなくてもいいじゃないかと思う人もいるでしょうが、
「残念だけど、あと1日か2日で駄目みたいだ」と母に伝えると「やっぱりそうか」と答えました。

その後、神奈川の叔母から電話があり岐阜の叔母もこっちに向っているとのこと、
それと母の兄弟で亡き叔父達の娘(母の弟の)と息子(母の兄の)の嫁さんの4人で
来ると連絡がありましたが、無事に全員と会えるかどうか?ちょっと不安でした。

母は危篤状態と言っても普通に会話が出来ていたので、本当に危篤なのかと感じました。
時々喉の渇きを訴えたので氷を水で溶かして小さくして食べさせていました。
自分は何度か手の指や足の指を確認しましたが、訪問看護師さんの話の通り、
手の指先は血行が悪いらしく、紫色に変色してきました。

そしてお昼前に訪問看護師さんが訪ねてきて、再び血圧や酸素濃度を調べていました。
酸素濃度は昨夜85%あったのが既に60%台まで低下してきていました。
そして訪問看護師さんは「これからしばらくすると呼吸の間隔が段々長くなってきます。
その間隔が1分近く開くようになったら連絡を下さい。」と言って帰っていきました。

訪問看護師さんと入れ替わるように午後すぐに弟夫婦がやって来ました。
弟が母に声を掛けると母は「もうすぐ死んじゃうよ、怖いよ、、、後のこと頼んだよ」
後で弟がそう言う会話をしたと話してくれました。
しかし弟は声が出ずらくはなっているものの母がしっかりと話をしていたので、安心したのか
仕事も忙しいとのことで3時間程滞在していただけで、帰って行きました。

続く

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