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自分にとっての両親(5) [脊髄損傷・癌]

この話が途中で止まっていたことを忘れていましたので、久々の続編です。

父が私の名前を母に相談も無く勝手に決めて役所に届けてしまった話は既にしましたが、
私が高校を卒業する頃に又しても同じ様なことがあって、父は私を自衛隊に弟を警察にと
勝手に就職させることを決めていたらしくて、そこへ持ってきて私がバイトとバンドで学校を
サボり気味になり、おまけに私が音楽の関連の学校に行くと言うと、もう大変でしたね。

更には後に弟が父の思い通り警察に就職したものだから、弟は自慢の息子、
私は父の家系にはいない怠け者の息子と言う差別がされ、それを態度にはっきり出していました。
しかも私が父の反対を押し切って行った学校を1年で中退して帰ってきましたので、
ますます不仲に、そして実家に戻って私が就職した会社がまたワンマン社長の酷い会社で
まともにボーナスももらえない会社で、当然面白くないので転職を考えて職安へ通うこととなり、
職安に通うためには当然仕事は休むわけで、それがいっそう父の不満となったようです。

そうして最初に就職した職場を1年で退職して、その後27年弱勤めることになる職場へ
転職をこととなったのですが、ちなみに最初の職場も転職後に勤めた会社も電気関係の
メーカーで1年で辞めた職場はTDKの下請け会社でした。

転職先の職場はしっかりした大手電機メーカーだったのでワンマン社長の会社と違って
組合もあって、ボーナスもきちんともらえる会社で、父とは不仲な自分も年末のボーナスの時は
決まって父には御歳暮的な物を送ったりもしていたのですよ。
学生の時とは違って、真面目に仕事には休まず通っていたし、学生の時だって部活をしている頃は
真面目に通っていて、部活が引退してサボり気味の時だってアルバイトは真面目にしていました。
多分自分はバイト代とか給料とか見返りがあるものならちゃんと出来ると言うことかもしれませんね。

その頃から父も自分もお互いに触らぬ神にたたりなしと言う感じでお互いを避けるようになりました。
私が20代後半の頃だったか?母の弟である私の叔父が同居することになった。
叔父は離婚して、子供達は叔母さんの方に行ったので一人となり、しばらくは母の実家がある
町田市や相模原周辺で一人暮らしをしていましたが、とにかく酒とゴルフが好きな人で
ゴルフ場で仕事をすることを望み、ゴルフ場の多い千葉県に住んでいた母を頼って来たのです。

続く

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